2003年、立命館大学文学部を卒業、そして大手結婚式専門企業に新卒入社したのが始まり。
入社したのは当時ホテルウェディングが下火になったほど新しく、人気を博していたゲストハウスウェディングを先駆けて手掛ける、急成長していた会社。国内に所有した5つの式場のうち、私が配属となった横浜は4バンケット(4つの披露宴会場)+1つのチャペルという、ゲストハウスの中では大型の施設。それぞれの披露宴会場が1日最大3件=4バンケットで合計12件=1週末最大24件(再念すると4バンケットでだ)+平日にもウェディングは入り、年間1000組以上の婚礼を手掛ける、超超超人気店だった。
総勢25名のウェディングプランナーと、それとは別に新規営業部隊、オフィスは賑やかで活気に満ちていた。私は会社初めての新卒社員だった。そんなこんな既存のプランナー・社員は全員経験者(中途採用)で、当時22歳だった私たちの一番近い先輩でも27歳。会社の中でも「おお、全く経験のないひよっこが入ってきたぞ」という感じ。本当に恵まれたなと思うのは、素晴らしい先輩方に出会い、育てていただいたこと。また会社も新卒社員をどう扱っていいのか分からない中で、非常に丁寧に研修をつけてくれた。初めての婚礼施行は入社から1年後の2004年6月4日。あえてサポートを厚く出来る平日の担当としてくれた。もう20年以上前か。なんだかそんな昔に感じないほど、あの頃の熱さを鮮明に覚えている。
件数が多いと書くと、回しているとか、雑な中身に感じられるかもしれないし、実際そういう会場もあると思うが、非常にウェディングプランナーという仕事に熱く、真剣な方ばかりだった。先輩後輩の緊張感はあるけれど、コミュニケーションも濃厚で仲が良く、全員一丸となって「良い結婚式を作るぞ!」という思いに満ち溢れた環境だった。
1年目は、最初の2週間は本社で座学を学び、4月末〜5月中旬は式場のエントランスでクロークやポーター、インフォメーション業務を。その後5月中旬〜6月末までは会社が所有するレストランで研修。週末にウェディングが入ることもあるが、普通にレストランのスタッフとしてサービスを学んだ。
そして7月、ようやく配属された式場に戻ってきたが、9月一杯までの3ヶ月間はサービスに。この3ヶ月が苦行だった。平日もサービスマンと一緒に行動し、シルバーやグラスを磨いたり、インベン(インベントリー。カトラリーや食器の数を数えるなど)や引出物を組んだりする。週末は最大3回転する会場セッティング〜宴中サービス。そんなサービス研修だが、あの時代のサービスは特に超スポコンな環境。単刀直入に言うと、元ヤンキーが集ってます?というくらいの男気溢れる、気合いのいる場所だった。
特に超短時間で会場を次の披露宴へと転換するどんでん(どんでん返しから来ている)では、「はい、時間ないよ〜!」キャプテンやリーダーの怒号が会場に轟く。急にそんな現場にぶち込まれたわけだが、例えば「山向こうね〜!」と言われても意味が分からない。見様見真似でテーブルクロスを敷いていると、「わかんねーのにいるんじゃねーよ邪魔だ!」などと言われる(笑)サービスマンは正社員ではなくアルバイトの方ばかりだが、こちらが社員だからといって手加減ない。テーブルクロスの山折があっちですよということなのだった。何度怒鳴られたか分からないし、1日で披露宴を3回。クタクタもクタクタ。怖いし。でも彼らは本当に仕事ができたし、そこは本当に尊敬していて、一生懸命やっていると、彼らの眼差しは変わっていった。3ヶ月の研修を終える頃には怖くて仕方なかったリーゼントっぽいオールバックがいつも決まっているおじさんリーダーと一緒に3卓を担当するようになったが、研修最終日「よくこの3ヶ月頑張ったな。自信もって送り出せるよ。一人前のプランナーになってくれよ。」と頭をガシガシっと撫でてくれた。
辛くて早くプランナーっぽいことがしたいと強く思っていたのは否めないが、今となってはここまでの「プランナーでない婚礼業務の経験」様々なセクションから、婚礼や『ウェディングプランナー』を見られたことが、本当に貴重で、宝で、大変役に立っている。あのような経験を与えていただき心から感謝している。(ただし今の私の現場は怒鳴るの禁止!笑。スマートかつ品よく)
そうして2003年10月からようやくプランナーの元へ。4人の新卒がそれぞれ4つの邸宅(仮に、ロンドン邸、ブライトン邸、リバプール邸、マンチェスター邸とする)に振り分けられ、私はマンチェスター邸に配属された。翌年2004年6月の初施行までは、ひたすらプランナーのアシスタントだ。アシスタントは披露宴開宴までが重要なので、2アシ(1日2件アシスタント)も当たり前。担当の婚礼が開宴すると、次の婚礼のプランナーの元へ行く。
もっとも特徴的だったのは、一般的に大型店(ホテルや式場)では、プランナーでなくキャプテンが施行運営する会場が多いが、この頃はプランナーがインカムをつけ、婚礼にベタ付きでついていた。それもまたかけがえのない経験だ。
それぞれのバンケットは1日最大3回転だが、4バンケ全てがフルの日は、チャペルは12回転しなければならないわけで、数分の遅れが全体の開宴やお開き、さらには中座や再入場のタイミングにも影響する。特に私が配属されたマンチェスター邸は、空中庭園をもつ一番人気(施行件数の多い)会場だったが、チャペルも空中庭園に面しているので、会場の外を定期的にフラワーシャワーが通過する。そのタイミングはマンチェスターの新郎新婦の入退場はもちろん、空中庭園でのウェルカムパーティーやデザートビュッフェなどはできないし、レースカーテンを閉めておく必要があるなど、進行にも工夫が必要な会場だった。そこで大切になってくるのが、その日同時進行で動いている8名〜12名?のプランナーと、それぞれについているアシスタントの連携だった。
どういう状況かは当日のインカムを聴いてみると分かる。(長いので以下ブルーは割愛してもらってもw)
「ロンドン1件目祝電披露に入ります。6分押しかな…すみません。ちなみにチャペルはどうですか。」「ロンドン2件目岡田です。チャペル今讃美歌です。チャペル内待機できます。ちなみにマンチェスター、中座できそうだったら先どうぞ。」「こちらマンチェスター1件目佐藤了解です。それではマンチェスターオンタイムで4分後中座します。」「こちらリバプール2件目菊地です。数分後お支度上がりまして、フォトスタジオに入ります。撮影後チャペルへ向かいます。向かいたいです。」「フォトスタジオ伊東了解。」「チャペル岡田も了解です。ロンドン頑張ります」「澤田も頑張ります」「支配人中田です〜…皆さんへ。手空いてる人いたら、チャペルのフラワーシャワー誘導お願い。120名居ます。」「ブライトン1件目清水です。新郎新婦再入場のため、メイクルームBを出てロビーを通過、ブライトンへ向かいます。」「ロビーインフォメーション了解しました」「ロンドン1件目、おひらきです!7分押しです。」「インフォメーションさん津田です。リバプール2件目吉田・楠ご両家、受付開始しました。」「インフォメーション了解です。」「こちら土井からインフォメーションさんへ。ブライトン2件目、島田・田口ご両家、親族控室オープンです。」「土井さんインフォメーション了解しました」「マンチェスター1件目新郎新婦中座です。オンタイムです。空中庭園を抜けてメイクルームAへ向かいます。」「岡田了解。それではロンドン2件目、チャペルから皆様を空中庭園へご案内します。フラワーシャワー後大階段で全員集合写真です。」「岡田さん澤田です。集合写真のんびり目でお願い」「了解、ブーケトスもあります」「ブライトン1件目、再入場しました。5分押しです。」「リバプール2件目菊地です。新郎新婦挙式リハーサルのため、フォトスタジオを出てチャペルへ向かいます」「チャペルアテンダー了解しました。」「ブライトン3件目石川です。新郎新婦地下駐車場ご到着です。ロビーを通過してメイクルームCへご案内します…清水さん、新郎新婦もう会場入ったよね?」「石川さんインフォメーション鈴木です。清水さんお客様と会話中なので割り込みます。ブライトンの新郎新婦再入場完了しています。」「リバプール1件目、祝電披露入ります」「マンチェスター3件目担当金澤です。インカムつけました。よろしくお願いします」「マンチェスター3件目、アシスタントは遠藤です。よろしくお願いします。」「お。えんちゃん今日2アシだね。頑張ってー」「まる殿今日もよろしくね。(まる殿=私の先輩方からの愛称。マンチェスターは女性のみのため大奥と呼ばれており、私がその中で一番下だったのでドラマ大奥にちなんで)」
文字に書き起こしてみるとグチャグチャ(笑)あえて全員同じチャンネルなので、インカムは終日常にずっとこんな感じ。新郎新婦を絶対にバッティングさせないことが絶対なので、全員が狭い敷地内で、12組の新郎新婦がどこにいるか、どういうことが今起こっているかを把握する必要がある。初めてインカムをつけた時はこんがらがってしまったし、ここに割り込んで話すことに物凄く緊張したけど、慣れると聞き流しているだけで、今館内全体で何が起こっているか、例えば新郎新婦がここをこれくらいのスピードで歩いてるから・・・とか、ここはゲストがごった返しているから・・・とか、明確に想像がつくようになる。
一人セルフィッシュがいると均衡が乱れる中で、どこを優先するのが一番ベストか、全員で状況を考えて連携し、すべての婚礼を思いやって、うまくいくように考える。例え休憩中でも皆インカムを聞いていて、「お、ここ手伝ったほうがいいな」と思うと、小走りでそこへ向かうような人ばかりだった。今思い出しても、感動するほどの連携のある職場だった。
この式場で勤務し学んだことは数えきれないが、一番はそんなチームワークだと思う。
22歳入社当時、まだ結婚式に一度も参加したこともなかった。初めて見た結婚式が式場に入社してから見学させていただいたものだ。感動し、ボロボロと涙が止まらなかった。何に感動したかといと、裏側で繋がった導線を移動しながら、会場を見させていただいていたのでというのもあるが、実は結婚式そのものというより、チームワークにだった。キッチンやお掃除の方まで含めると50名はくだらない人が、同時刻それぞれ別の場所で別の役割をしている、それが一つになって織りなされるこの時間。騒々しいバックヤードと、美しく感動的な宴会場の表舞台。寸分の狂いなく、皆が信頼し合い、紡ぎ合い、創り上げていくウェディング。
女性だけのマンチェスター邸、通称大奥。先輩方は本当に大切に私を育ててくださった。トレーナーの金澤さんは、独立心の強い私を見抜き、手取り足取りでなく、良い距離感を置いて見てくださった。例えば他の同期の初担当・初回打ち合わせは、トレーナーが同席していたけれど、私の初めての初回打ち合わせは同席無しだった。後で気づいたのだが、トレーナー金澤さんは、私が打ち合わせ中いつでも質問に来れるよう、自分のスケジュールを入れず私の打ち合わせの間ずっと自席に座っていてくださった。
初担当の施行も、他の邸宅ではベッタリくっつき、インカムでことごとく注意(まるで公開処刑)されている同期がいる一方で(苦笑)、金澤さんは常に3m後ろ(お客様から目に入らないところ)に居てくれた。良いタイミングですっと来てくれて、インカムでなく口頭で「ここ、これをこうしておくと良いよ」「これ注意してね」など助言をくださった。お陰様で無事お開きとなり新郎新婦を見送った後、メイクルームの外で「お疲れ様。初施行無事お開きおめでとう」と誰に見せつけることなく二人きりの時にサラリとMIKIMOTOのボールペンをくださった。格好良すぎる先輩。
一つこれからの若者へのアドバイス、私は新人期間のポリシーがあって、それは失敗した時に人前で泣かないこと。まずそれは決して反省の姿勢ではないと思う。指導してくださっている人の前で “自分の感情” を露わにするのは違う。一人前のプランナーになりたい、それにはしっかり指導をしていただくことが必要不可欠。泣かれたら誰だって注意しにくくなってしまう。だから自分の失敗に悔しくて泣きたい時は、誰にも気づかれないよう、私はトイレへ行っていました。泣き腫らした顔を見せて匂わせるなんかも絶対しませんでした😛
そんな、私でしたが、失敗して落ち込んでいそうな時、プライベートで失恋した時も、マンチェスター邸の先輩方は、皆で居酒屋→朝までジョナサン(ドリンクバー)という機会を作り語り合ってくれた。携帯のメールで「皆さん、ご存知の方もいらっしゃると思いますが(というか全員)まる殿が失恋しましたので、今日は飲みますよ。集合!」と。女の園は一般的にネチネチしているけど、男前な方が多かったな。今思えばあの時先輩方も20代後半〜30代前半だったわけ。凄い。今でも尊敬の念が絶えない。
この場所をお借りして改めて、私を育ててくださった先輩方、本当にありがとうございました。私のスタート地点に居てくださったのが先輩方でなかったら、今の私はなかったと思います。