久しぶり(1年ぶり)になってしまった。もう1年経ったなんて信じられない。大人になればなるほどあっという間に時間が過ぎるというのは本当なのだ。
先日、初めてプロの(スペイン人のフラメンコカンパニー)の公演を観に行った。これがもう、人生観変わるかもというレベルに感動的なものだった。
勝手な固定観念だったのだが、アコースティックというとどこか優しい印象を持っていた。例えばニルヴァーナがアコースティックライブをやると、ロックがリラックス感あるものになるような。(1993年のUnpluggedは必見)
フラメンコは、シンガーの歌声のほか、アコースティックギター、カホン、手拍子、そして足を踏み鳴らす音という、アコースティックもアコースティック。それが始まって数分で涙が出そうになるほどの衝撃を受けた。驚きもあったと思うし、迫り来る緊張感、それに恐怖を感じるような感覚もあった。歌詞は全く分からないのに、怒りを感じた。嘆きを感じた。パッションとはこのことか。
アコースティックが、この様な迫力を感じたことがないくらいの凄まじいものだった。
昔、プロジェクションマッピングの第一人者、代表的なもので東京駅へのプロジェクションマッピングで知られるNAKEDの村松さんと対談させていただいた時に村松さんが仰っていたことは今でも忘れない。
「人が心を震わせ感動するのは、アナログの部分。デジタルで見た目素晴らしいビジュアルデザインを作ったとしても、アナログな本質を欠いていては、人が感動するものはできない」
昨年テレビだったかなんだったか誰かが、2025年は変化の年で、SNS社会やAIなどについていけないと一気に遅れを取ると言ってた。どういうことだろうってその時思って、今も分からない。(あと、なんか毎年“今年は変化の年”って聞いている気がする)
私はそれらが無かった時代も知っている世代で、あの時と比較すると様々なことが本当に信じられないくらい(たまに過剰だと思うくらい)便利になった。一方で、人生・社会・環境が魅力的になっているとは思えないのは気のせいだろうか。
不便だから人は努力をするし、想像力を持つ。忍耐強くなる。デジタル化が進むにつれ、アナログの価値を感じる。人工知能が進化するにつれ人間の手作業の温もり(ちょっとした失敗も含め)を愛おしく思う。
進化しても、アナログな部分を絶対に持っていたい。