イギリスに来てから、夫は新しい会社に就職し、毎朝6時40分に起き、オフィスに通う日々が始まった。コロナ禍3年間、夫は一切オフィスへ行くことがなくなり、在宅ワークとなったものの、これが合っていると言っていた。それが毎朝通勤、しかも新しい会社だなんて、あまりの環境の変化!想像するだけで気苦労を感じ、胸がぎゅっとなった。
私は相変わらずオフィス通勤がない立場だが、夫が出勤する初日、とりあえず起きた。すると夫も義理の両親も少しびっくり。全員が「わざわざ起きなくていいじゃない」という反応で。日本のような「主婦たるもの」という概念がサラサラないスタンスに感銘を受けたが、とは言え起きないわけにもと思いつつ。次の日は起きないことを試した。やっぱり違う。
朝、簡単なサンドイッチを作る夫を見て「ランチはどんな習慣の会社なの?外に出ないの?」と聞くと「外に出る人もいるけど、僕は仕事中の昼食になるべくお金をかけたくない。」と。私がオフィス勤務していた時は、ランチで外に出るのが一つの楽しみだったけど、そういう感じなのね。
何か協力できないかと思いつつ、ランチを持たせると交流の足枷になるのでは?と思っていた私は、それならこれだと思った。「私が作ろうか?」「え、本当?」「JAPANESE BENTO BOX・・・とか。結構重さあっても良い?(弁当の想像がついていなさそうなので念の為)」「それはとても助かるよ」そんなわけで私の朝弁当作り生活が始まった。
やっぱり弁当に合う食材の調達には大苦戦しているけど、日本同様に昨晩のお残りを使ったりしながら、そぼろご飯、オムライス、高菜チャーハン、鶏の塩麹焼きやトマト煮込みなど、本当に簡単なものを作っている。夫はおにぎり弁当(おにぎり)が好物らしい。

日本人から見たら本当に大したものは作っていないので、その内容に恐縮している私にお構いなく、義理の両親は覗き込んでは感動し(特に卵焼き)、夫に「朝からこんなことしてもらえて、なんてラッキーなのあなたは!」と毎朝の様に言っている。そして夫は「ランチが僕の1日のハイライトになってる。最高だよ」と。
その言葉がとても嬉しい。少し夫の努力に協力できているようで。
子供の頃を思い出した。私が子供の頃は基本給食があったけれど、部活の時などはお弁当を作ってもらっていた。
母はオペラ歌手・声楽家として、歌劇団の歌手、高校で講師、自宅でのプライベート指導、街の小さなコーラス指導、そして宝塚市の第九(ベートーベン)合唱団を主宰する(これはもう30年以上、今も継続中)など、かなりアクティブに活動していて、時に母のお弁当はご飯の横に前日のおでんがサランラップでぎゅっと巾着のように縛られている(汁がこぼれないよう)のがドカンと入っているなど、なかなか豪快なビジュアルだったけど(笑)とても美味しかった。
友達の弁当箱を覗き込んで「わぁ!すっごい綺麗!」と感動するけど、だからと言って母のお弁当になんの不満もなく、私は母のお弁当が大好きだった。母の本日の余裕(?笑)が現れるようで、「ママも忙しい中頑張ってるんだな!」と感じ、愛おしかった。
日本では当たり前のお弁当。イギリスで作って、弁当は内容より何より、それを作る行為や気持ちのパワーが凄いものなんだと、改めて実感させてもらった。
お弁当は、食事の提供というだけでなく、気持ちのこもったサポートなんだ。

